まず、医療関係者の発想の転換として、病名告知とインフォームド・コンセ ント、ホスピス的ケアのあり方について話します。
私は以前、厚生省の末期医療検討委員会で、大きなテーマのひとつ 「がん告知」について討議しました。私は告知が望ましいと言ったんですが、 どうもその時はまだ一般の意識として隠しておいた方がいいんじゃないか、 という意見が強くありました。なぜ望ましいか?
50年前だったらおじいさん・おばあさんをだましたり、隠しておくことは できたかもしれません。今は、日本人の教育レベルも高くなり、隠しとおすこ とはできないと思うんです。がん告知をしなくても、患者さんは本を読んだり、 TV番組を見たりしてわかってしまいます。
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ロンドンのいろいろな病院でホスピスを研究していた時、精神科の医者 と回ったのですが、ある患者さんの奥さんがこういうふうに言いました。 「うちの主人が末期がんであることはよくわかっています。でも、主人は本当 に弱い人です。彼には何も言わないで下さい」と。一方、患者さんの最初の 言葉はこうでした。「私は自分が末期がんだということをよく知っています。 うちの家内はとっても弱いので言わないで下さい」と。
次の日、精神科の医者は、ソファーに座っている奥さんに「旦那さんはよく わかっているので、少し話したらどうですか?」とアドバイスしました。 ご主人は奥さんがあとで困らないように、大切な鍵はどこにあるのかとか、 保険について、会社について、どの親戚にはちょっと注意した方がいいとか、 一生懸命説明しました。
そして、最後の日、何回も「ありがとう、ありがとう、Ilove you!」と言い ながら死にました。
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私は患者が死ぬとき、いつも2つのことを分析します。一つは人間らし い死に方であったかどうか、二つ目は遺族についてです。
この患者さんは、本当に人間らしい死に方だったと思います。つまり、最後 まで思いやりを示しながら生きたんです。奥さんや遺族があとで困らないように。
この場合、この奥さんは一生涯ご主人を思い出すたびに最後の言葉「ありが とう、Ilove you!」を思い出すでしょう。素晴らしいことです。 奥さんにとって、一番大きなエネルギーは「主人は私をあれほど愛してくれた」 ということ。一番大きな支えになったんじゃないかと思います。
ですから「がん告知」という問題は、ただ病名を告げるということで はなく、コミュニケーションという枠のなかで「がん告知」をし、末期患者 に最後まで精一杯人間らしく生きるチャンスを与えることじゃないか、 といつも考えています。
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もう一つの実例は、私は毎年上智大学で「死の哲学」を教え、800人が 私のコースをとっていますが、そのなかで、毎年何人かのお父さんが亡くな ります。
代表的な実例は、ある学生が「うちの父は、今末期がんですが、田舎ですの で医者はがん告知したくない、と言います。私はどうしたらいいですか?」 私は、「まず、家族のなかで話し合って下さい。もしコンセンサスが得られ れば言ってほしいと、医者に頼んで下さい。『死の哲学』の時間で取り上げ たテーマなどを話題にして、それとなく心の準備をしてもらうことができる かもしれませんね」
11月に同じ学生が「先週、授業を欠席しました。お葬式でした。がん告 知のあと父と過ごした最後の夏休みは本当に深い体験でした。私は、今まで 知らなかった父を知ることができました。私は、大学に入るまで父とのコミ ュニケーションは、お金が必要なときばかりでしたが、半年間死について考 えましたから、父と今までなかった深い話ができました。よく散歩しながら 話をし、以前は知らなかった父の素晴らしさを理解しました。最後の夏は、 最高のときでした。」
お父さんにとって、本当の自分の価値観・自分の理想・自分の息子に 対する希望を伝えることができたということは、クォリティ・オブ・ライフ にとって最高のことだったと思います。そして息子さんにとっては、自分は 近いうちに父を亡くすということを理解しながら、一生懸命お父さんと話し コミュニケーションをとって、そういう人間的なふれあい・分かち合いがで きたということは、貴重な体験でした。それは、二度とないんです。
そういう意味で、がん告知はただ病名を告げるだけではないんですね。 コミュニケーションが土台だと思うんです。
しかし、悲しい、ネガティブな実例もあります。地方で講演したとき、 前に座っていた看護婦さんが突然涙を流しました。私は、彼女を東京で知っ ていました。お父さんが同じ病院で亡くなったんです。彼女は当然がん告知を した方が望ましいとわかっていましたが、医者は「お父さんは知らない方が幸 せだ」と言った。
彼女のお兄さんは国立大学を出た医者でしたが、おさんも「知らせない方がいい」 と言いました。そして、お父さんは亡くなった。彼女は最期を看取り、 お父さんの日記が見つかりました。
[うちの娘は東京の病院に勤めていたのに、死ぬ患者・末期患者には何も しない。孤独]
[今日は国立大学医学部を卒業した息子が来た。末期患者に対して何もし ない。孤独]
お父さんは知っていました。知らない方が幸せだ、と言っても、それは勝手 に想像するだけのことです。本人は極端な孤独のなかで最後の1カ月を過ごし たんです。そのとき彼女は、ターミナルケアにおいて、看護婦として大切なこと、 またお父さんに対する最後の贈り物はがん告知を含むコミュニケーションであっ た、と思ったんですね。
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